ヨルシカ、ノーチラスの意味考察

ヨルシカの2ndfullアルバム「エルマ」に収録されている「ノーチラス」の歌詞とMVの考察です。

・ノーチラス、素敵だけど歌詞はどんな意味なんだろう?
・MVのエモさはなんとなくわかるんだけど意味がよくわからない!
という方にぜひ読んでほしいです。

この記事を読めば、よりヨルシカの世界観を楽しめると思います。

ノーチラスって?

ノーチラスはアルバム「エルマ」の最後の曲ですが、時系列的にはアルバム「エルマ」では一番最初の曲です。
つまり、エイミーが亡くなってから一番最初の曲ということで、

この曲はエイミーが自殺する時の心情をエルマに届ける歌となっています。

ちなみに「だから僕は音楽を辞めた」「エルマ」中の楽曲は物語としての順番はどちらも下から上となっています。
時系列について詳しくは以下をご覧いただければと思います。


タイトルのノーチラスはSF小説の「海底二万里」の潜水艦の名前から取っています。
これはエイミーが入水自殺して海に沈むことから潜水艦が選ばれたのかもしれません。
MVにも空を飛ぶ艦船のようなものが映されています。

歌詞考察

歌詞

時計が鳴ったからやっと眼を覚ました
昨日の風邪がちょっと嘘みたいだ
出かけようにも、あぁ、予報が雨模様だ
どうせ出ないのは夜が明けないから

喉が渇くとか、心が痛いとか、人間の全部が邪魔してるんだよ

さよならの速さで顔を上げて
いつかやっと夜が明けたら

もう眼を覚まして。見て。
寝ぼけまなこの君を何度だって描いているから

傘を出してやっと外に出てみようと決めたはいいけど、靴を捨てたんだっけ
裸足のままなんて度胸もある訳がないや
どうでもいいかな 何がしたいんだろう

夕飯はどうしよう
晴れたら外に出よう
人間なんてさ見たくもないけど

このままの速さで今日を泳いで
君にやっと手が触れたら

もう目を覚まして。見て。
寝ぼけまなこの君を忘れたって覚えているから

丘の前には君がいて随分久しいねって、笑いながら顔を寄せて
さぁ、二人で行こうって言うんだ

ラップランドの納屋の下
ガムラスタンの古通り
夏草が邪魔をする

このままの速さで今日を泳いで
君にやっと手が触れたら

もう眼を覚まして。見て。
君を忘れた僕を

さよならの速さで顔を上げて
いつかやっと夜が明けたら

もう目を覚まして。見て。
寝ぼけまなこの君を何度だって描いているから

ヨルシカ ノーチラスより抜粋

1番

時計が鳴ったからやっと眼を覚ました
昨日の風邪がちょっと嘘みたいだ
出かけようにも、あぁ、予報が雨模様だ
どうせ出ないのは夜が明けないから

喉が渇くとか、心が痛いとか、人間の全部が邪魔してるんだよ

ヨルシカ ノーチラス

目覚ましをセットしていたり、出かけようとしていたり、と何かするつもりのようです。

後半のMVで明かされますが、これからエイミーは自殺するつもりだったのです。

生理機能としての喉の渇きや、死に対する心理的躊躇が人間の本能として死を拒んでいます。
そういう意味で「人間の全部が(自殺を)邪魔してる」ということなのです。

さよならの速さで顔を上げて
いつかやっと夜が明けたら

もう眼を覚まして。見て。
寝ぼけまなこの君を何度だって描いているから

ヨルシカ ノーチラスより抜粋

最初に書いた通り、これはエルマへの曲です。
この部分はエイミーの死後、エルマが前を向けるようにするための歌詞だと考えられます。

「さよならの速さ」についてですが、英語ではさよならをso long と言います。
long には「長い」という意味がありますので
「さよならの速さで顔を上げて」とは「時間がかかってもいいから顔を上げて」という意味だと思われます。

そして、「眼を覚まして」というのは、エイミーを模倣するエルマに対して、真似はやめて自分を生きろと伝えているのではないでしょうか。

「だから僕は音楽を辞めた」というアルバムから今までのエイミーがエルマを歌にしてきたことが分かるので
「何度だって描いている」というのはエルマを歌にして描いているということでしょう。

つまり、自殺するけども、これからは音楽としてずっとそばにいるということではないでしょうか。

自分は自殺するが、これからは音楽としてそばにいるから、時間がかかってもいいから立ち直って、エルマはエルマとしての人生を生きてほしい。

という思いが込められています。

2番

傘を出してやっと外に出てみようと決めたはいいけど、靴を捨てたんだっけ
裸足のままなんて度胸もある訳がないや
どうでもいいかな 何がしたいんだろう

夕飯はどうしよう
晴れたら外に出よう
人間なんてさ見たくもないけど

ヨルシカ ノーチラスより抜粋

エイミーの自殺に対する躊躇とやるせなさが表れています。

もう死ぬから靴を捨てたけど、自殺しに行くにも靴は必要だった。
夕飯や外の天気も気になってしまう。
どうせ死ぬしどうでもいいか。
というような心情でしょうか。

また、「人間なんて見たくもない」から世間から評価を得られず苦悩したエイミーの悔しさのようなものが見えますね。

このままの速さで今日を泳いで
君にやっと手が触れたら

もう目を覚まして。見て。
寝ぼけまなこの君を忘れたって覚えているから

ヨルシカ ノーチラスより抜粋

ヨルシカおなじみの表現が出てきました。「泳ぐ」です。
「泳ぐ」の意味は水中を移動する、巧みに世を渡る、揺れるの3つです。

ここでは1つ目の意味を用いて、
「今日を泳いで」は「なんとか今日を過ごして」という意味ではないでしょうか。
入水自殺をしたエイミーならではのメタファーだと感じられます。

「君にやっと手が触れたら」とはどういう意味でしょうか。
この曲はエルマに送ったものでした。
このことから「手が触れ」るというのはノーチラスという曲がエルマに伝わったらということではないでしょうか。
そう捉えると死後に「手が触れ」るというのも意味が通ります。

次に「忘れたって覚えている」の部分です。
まずエルマとエイミーは一緒にいた時期があり、一度離れている間にエイミーは自殺するのでした。
決別した理由は分かりませんが、離れて暮らす中でエイミーはエルマの記憶が薄れていくのを嫌がっていました。

これを踏まえるとこの部分は
何が何でも君を忘れない。
というような強い意志を表しているように思います。

丘の前には君がいて随分久しいねって、笑いながら顔を寄せて
さぁ、二人で行こうって言うんだ

ラップランドの納屋の下
ガムラスタンの古通り
夏草が邪魔をする

ヨルシカ ノーチラスより抜粋

これはエルマと再会できた時のifストーリーを妄想している場面かと思われます。
「随分久しいね」とある為、初対面時の回想ではない気がします。

ラップランド、ガムラスタンは北欧の地名です。
エイミーは北欧旅行の途中でエルマと出会いました。

また旅行する日を思い浮かべているのでしょうか。

ラスト

このままの速さで今日を泳いで
君にやっと手が触れたら

もう眼を覚まして。見て。
君を忘れた僕を

さよならの速さで顔を上げて
いつかやっと夜が明けたら

もう目を覚まして。見て。
寝ぼけまなこの君を何度だって描いているから

ヨルシカ ノーチラスより抜粋

ラストです。

「君を忘れた僕」からエルマの記憶が薄れていくのが進行したようです。
自殺することでエイミーからエルマはなくなっていきますが

「寝ぼけまなこの君を何度だって描いている」で、曲にして君との記憶を残し続けると表現しています。

設定ではエイミーは死後にエルマに曲を木箱にいれて渡しています。

自分の死により絶望するであろうエルマを、曲の中で
顔を上げて、目を覚まして、と励まし
音楽となってずっと寄り添っていくと伝えているのがこの曲、ノーチラスのように思います。

まとめ

いかがだったでしょうか。

しっかり考察してみると歌詞の深みが増していくように感じます。

なんとなく聞いていた時よりもより感傷に浸ることができ、もっと泣かせられる歌だと思いました。

お読みいただきありがとうございました!

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