ヨルシカ、藍二乗の意味考察

ヨルシカの藍二乗

ヨルシカの1stfullアルバムの二曲目の藍二乗の考察です。
このアルバムは音楽を辞めた青年エイミーがエイミーを模倣して音楽を始めたエルマに送った歌です。

・まず藍二乗って何?
・この曲の歌詞の意味がよくわからない、、、
・ヨルシカの物語があるらしいけどそれについて知りたい!

という方に読んでいただきたいです。

エイミーとエルマの関係とヨルシカの世界観はこちらに書いています。

それでは考察していきましょう!

そもそも藍二乗とは?

まずタイトルの藍二乗とは何でしょうか。

色で言えば藍は暗い青色ですね。インディゴブルーとも呼ばれます。

二乗は数学の言葉であり、同じものを二回掛けたものです。3の二乗は9で、4の二乗は16です。
普通に考えれば藍二乗とは藍色が2つあるということでしょう。

またI(アイ)は英語の代表的な一人称です。この解釈だと藍二乗とは自分の2人分と捉えることもできます。

これはエイミーとエイミーを真似したエルマ(模倣しているからもう1人の自分とも言える)の2人のことだと考えられます。

最後は藍=数学的なiのパターンです。

数学ではiは虚数単位と呼ばれています。数には実数と虚数があって普段使うのは実数です。虚数単位iを二乗すると-1になります。ちなみに虚数を実数に変換するには虚数単位iを二乗するしかありません。

iの二乗をエルマとエイミーとすれば二人でやっと実数になれる=二人で一人前という解釈ができそうです。

・藍は色の藍色のこと!
・藍=英語の主語’I’のこと!
・藍二乗=iの二乗=ー1
つまり、藍二乗とはエイミーとエルマの2人のことで、そこに空の藍色などの情景的な「藍」が絡んでいると考えられそうです。

本稿では上記の2つの意味を以って考察していきます。

歌詞

変わらない風景 浅い正午
高架下、藍二乗、寝転ぶまま
白紙の人生に拍手の音が一つ鳴っている
空っぽな自分を今日も歌っていた

変わらないように
君が主役のプロットを書くノートの中
止まったガス水道 世間もニュースも所詮他人事
この人生さえほら、インクみたいだ

あの頃ずっと頭に描いた夢も大人になるほど時効になっていく

ただ、ただ雲を見上げても
視界は今日も流れるまま
遠く仰いだ夜に花泳ぐ
春と見紛うほどに
君をただ見失うように

転ばないように下を向いた
人生はどうにも妥協で出来てる
心も運命もラブソングも人生も信じない
所詮売れないなら全部が無駄だ

わざと零した夢で描いた今に寝そべったままで時効を待っている

ただ、ただ目蓋の裏側
遠く描く君を見たまま
ノート、薄い夜隅に花泳ぐ
僕の目にまた一つ

人生は妥協の連続なんだ
そんなこと疾うにわかってたんだ
エルマ、君なんだよ
君だけが僕の音楽なんだ
この詩はあと八十字
人生の価値は、終わり方だろうから

ただ、ただ君だけを描け
視界の藍も滲んだまま
遠く仰いだ空に花泳ぐ
この目覆う藍二乗

ただ、ただ
遠く仰いだ空、君が涼む
ただ夜を泳ぐように

ヨルシカ 藍二乗

エイミーの音楽と人生

変わらない風景 浅い正午

高架下、藍二乗、寝転ぶまま

白紙の人生に拍手の音が一つ鳴っている

空っぽな自分を今日も歌っていた

ヨルシカ 藍二乗

変わらない風景、浅い正午、高架下で寝転ぶまま僕(エイミー)は歌っている。
空っぽな僕の人生の歌だが君(エルマ)だけは拍手を以て賞賛してくれている。

「白紙の人生に拍手の音が一つ鳴っている」とは誰も認めてくれない自分をエルマだけは賞賛=拍手をしてくれたという意味だと思われます。

エイミーは自分の音楽を「空っぽ」だと感じているようです。

最初の「藍二乗」は情景の中のエイミーとエルマのことを言っています。

変わらないように

君が主役のプロットを書くノートの中

止まったガス水道 世間もニュースも所詮他人事

この人生さえほら、インクみたいだ

あの頃ずっと頭に描いた夢も大人になるほど時効になっていく

ヨルシカ 藍二乗

いつもの作曲と同じようにノートに君の物語を書く。
ガス水道は止まったけど、世間の事柄は僕にとってはどうでもよかった。
僕の人生は君を綴るためのもの=インクのようなものなのだ。

昔描いた夢=音楽での大成は、大人になるにつれて、どうでもよくなってしまった。
今はエルマがすべてだ。

エイミーは貧しい生活を送っているようです。
俗世のことには目もくれず、エルマの音楽をひたすらに描いています。
そんな自分の人生をエルマを描くためのインクと形容しています。

有効期限が切れて効力を持たなくなるという意味の’時効’が出てきています。

この時効を用いてかつての夢の実現がなされなかったことを表現していますね。

1番のサビ

ただ、ただ雲を見上げても

視界は今日も流れるまま

遠く仰いだ夜に花泳ぐ

春と見紛うほどに

君をただ見失うように

ヨルシカ 藍二乗

ただ、上を見上げても僕の目に留まる(関心が持てる)ものはない。
僕の視界の中ではすべてが雲のように流れていく。
味気ないものの中では君だけが花だった。
僕が関心を寄せるのは、君がいたあの夜だけなんだ。
だが、僕の視界に今、君はいない、、、

ただ、エルマだけに関心を寄せているエイミーが歌われています。
その様子をエルマを唯一の彩として’花’にたとえて表現していますね。

春と言えば、たくさんの花があるというイメージがありますが
「春と見紛うほどに」とはエルマがいるだけでエイミーは様々なものに興味をもてた、エイミーの日々が彩で飾られたという意味でしょう。

「仰ぐ」には3つ意味があります。
見上げる、尊敬する、一気に飲み干すという意味です。

2つ目の意味から考えるとこの歌詞にはエルマへの尊敬が込められているのかもしれません。

3つ目の意味から考えると「遠く仰いだ夜」というのは遠い昔に飲み干した=体験した夜とも解釈できそうです。

また「泳ぐ」にも意味は複数あります。
水中を移動する、巧みに世を渡る、揺れるの3つです。

ここだと揺れるが適切そうですね。ひらひらと揺れるのは花としてあっている感じがします。
ひょっとしたらひらひらとした明るい感じのエルマの性格性を表しているのかもしれません。

そして、「君をただ見失うように」で初めてエイミーがエルマを失ってしまったことが明かされ、今は一緒にいないことがわかります。
決別の理由はこの曲のここまででは明かされていません。


エルマの消失により、エイミーは彼女の物語を描くことに妄執していたのかもしれません。
エルマと会えない世界で、エルマとの日々の郷愁に駆られているようです。

今のエイミーの生き方

転ばないように下を向いた

人生はどうにも妥協で出来てる

心も運命もラブソングも人生も信じない

所詮売れないなら全部が無駄だ

わざと零した夢で描いた今に寝そべったままで時効を待っている

ヨルシカ 藍二乗

向上のために上を向かず、安定を求めて下を向いた人生は妥協ばかりだ。
売れない音楽なら全部価値はない。
エルマを焦がれる日々の中で夢を諦めている。

エイミーは失敗を恐れて妥協ばかりを繰り返している人生を送っています。


「所詮売れないなら全部が無駄だ」のところは
売れない音楽は無駄という今のエイミーの音楽観が如実に表れた部分です。

「わざと零した夢」というのは音楽の大成という夢を意図的に諦めたという意味でしょう。
「零した」夢で「描いた」という部分で自分の人生=インクというメタファー(隠喩)が使われています。
つまり、「わざと零した夢で描いた今」というのは夢の挫折を経て手に入れた今の生活ということになります。

そこに「寝そべったままで時効を待っている」というのは今の生活に身を置き、夢を諦めた体を取りながら本当に諦めがつくのを待っていると思われます。


エイミーは「わざと」夢を諦めていたのです。
そしてエルマの夢想にふける日々の中で本当に夢を諦めようとしています。

2番のサビ

ただ、ただ目蓋の裏側
遠く描く君を見たまま
ノート、薄い夜隅に花泳ぐ
僕の目にまた一つ

ヨルシカ 藍二乗

目を閉じて君を見たままに思い描く。
僕の目の中にまた一つ花=君が生まれた。
僕のノートに描かれた君だ。

この部分は倒置や隠喩がたくさんあります。

まず倒置を元に戻すと

目蓋の裏側で君を見たまま遠く描く
僕の目にまた一つ
ノート、薄い夜隅に花泳ぐ

そして「ノート、薄い夜隅に花泳ぐ」には2つの意味があります。

「夜」に「花泳ぐ」とは1番のサビで歌われていた、’エルマがいたあの夜’の郷愁ですね。

しかし、夜隅=四隅とすればノートの四隅に君がいる、つまり、ノートのそこら中に君が描かれているということになります。
上の訳ではこちらを採用しました。

エイミーの目には’彩ある花’として映るのはエルマだけでした。
しかし、自分がエルマを描くこともまた花=エイミーが興味を持てるもの、だったことにここで気づいたのです。
そのために「僕の目にまた一つ」花が生まれたのです。

ラストのクライマックス

人生は妥協の連続なんだ
そんなこと疾うにわかってたんだ
エルマ、君なんだよ
君だけが僕の音楽なんだ
この詩はあと八十字
人生の価値は、終わり方だろうから

ヨルシカ 藍二乗

今まで歌われてきた思いが全部吐き出されています。
ちなみに残りの歌詞の文字数は本当に80字です。

人生の価値は終わり方で決まるとありますが人生=音楽のエイミーの歌であるので、残りの歌の意味は重要そうですね。
さらに「人生の価値は終わり方だろうから」にはエイミーのある決意が秘められています。
次でしっかりと意味を考察していきましょう。

ただ、ただ君だけを描け
視界の藍も滲んだまま
遠く仰いだ空に花泳ぐ
この目覆う藍二乗

ただ、ただ
遠く仰いだ空、君が涼む
ただ夜を泳ぐように

ヨルシカ 藍二乗

この部分で実はエイミーは毒を飲んで海に入水自殺しています。
「ノーチラス」のMVにはエイミーの死因の描写があり、その内容が毒を飲んだうえでの入水自殺です。
「人生の価値は終わり方だろうから」という部分では自殺の覚悟を表していたのです。

最後の歌詞は海の中から見た景色が歌われています。

ただただ君を思い出せ、僕の最後は君で飾る。
視界の藍(空と海の青)も海水で滲んだまま。
海水の向こうに見える空に君(花)を思い描く。
空と海の青(藍二乗)でこの目は覆われていく。

遠い場所では君が涼しげに
世をうまくわたっている。

「人生の価値は終わり方だろうから」ということで、自分の人生をエルマで飾るためにひたすらエルマを頭の中で描いています。
「君だけを描け」は命令形であるので、意思の強さが窺えます。
エルマだけが僕の音楽であるというエイミーの音楽観から、死に際のエルマの夢想が自分の音楽人生に対するけじめでもあったのかもしれません。

泳ぐの意味は複数あると述べました。その中には世を上手く渡るという意味があります。

一見意味が分かりにくい「涼む」「夜を泳ぐ」の表現も、これを考慮すると
苦悩して自殺を選んだエイミーと上手に世を渡っていくエルマの対比を表しているのがわかります。

このエルマとの対比は、エルマへの嫉妬とかではなくて死に際の自分とエルマの人生を振り返った時の素朴な感情だと感じました。

また、視界が滲んだ原因は上記では海水としましたが、もしかしたら涙が原因であったのかもしれません。
この部分の解釈はとても深く作られているので様々な考察ができそうです。

まとめ

私なりの考察でしたがいかがでしょうか。

藍二乗はエルマの消失により虚無に陥るエイミーがその日々で得た音楽観と死に際での感情を歌った作品でした。

死に際でのエイミーが感じたエルマとの対比と、エルマへの思いがとても切ない歌です。

他の楽曲やアルバム間でつながっているので、いろいろな曲を知れば新たな発見ができそうです。

ヨルシカは本当に深くて、考察もいろいろなものがあると思います。

思ったことはどんどんコメントしてくださると幸いです。